Opalpearlmoon

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望月の夜に

私はいま、自分の愚かさに呆然としている。
 
ロッジは普段、私たち騎士候補生のために開放してある。
今日は勉強会の日ではないが、入団試験の勉強をするためにここの図書室に籠っていたのだ。
満月であることは知っていた。だから月が昇るその前に切り上げて帰るつもりだったのだ。
集中していたからだろうか。
気がつくと夜の帳はおり、満ちた月が顔を出していた。
 
何故時計に目をやらなかったのか。腕時計をつけないでいたことも恨めしい。
 
どうするか。
答えは一つしかない。ここに一晩とどまるしかない。
自宅に帰りたくても帰る方法がない。
扉を開ければ瞬時に鷹となってしまう。飛べない鳥は歩くしかないのだ。そんなことをしたら一晩たっても辿り着かないだろう。
迎えを頼むと言ってもこのことを知っている父は忙しく、そんな時間はない。
なにより私が恥ずかしい。
 
家に電話をして一晩ロッジにとどまることを連絡しよう。
そう思いデスクにまわり電話機に手を伸ばした瞬間、扉が開いた。
 
「ああ冷泉寺、きていたのか」
 
レオンだった。少し驚いたような響きの声。月光を浴びて美しい髪が輝いている。
いつもよりラフな服装をしたレオンは小脇に数冊の本を抱え、後ろ手で扉をしめた。
そして本を置き、デスクに軽く腰をかけ、はす向かいに顔を斜めにしてこちらを真っ直ぐに見た。
…こういうとき、私は無意識に構えてしまう癖をもっている。
「自習ってやつさ。勉強熱心すぎて失敗したがな」
私は窓の外に目配せをして、明るく言った。さりげなくデスクから離れソファに座る。
「お前らしくないな」
レオンはくすくすと笑い、腕を組んだ。
「まあ、外は満月だ。今晩は一日出られないだろうし、泊まっていけばいいさ。ここにはシャワー室も寝室もある。自由に使ってくれ」
なんてことのない言葉にどきりとする。
「ああそうさせてもらうつもりだ」
「オレは明日までに調べておきたいことがあってね。一晩図書室に籠るつもりだ。気にしなくていいよ。それにまた高天たちが来るかもしれないし」
朝まで二人きりなのか。私はふいとレオンから顔をそむけた。
動揺しているのを悟られたくなかったからだ。
レオンは手早く内線にかけると、二人分のお茶と、軽い食事をもってくるよう指示した。
「食事、まだだろう?オレンジペコと、アプリコットとブルーベリーのジャムサンド、サーモンのサンドでよかったね」
受話器を置き、からかうような声でたずねた。どれも何年も前に私が好きだと言ったものだ。流石レオンというべきか…よく憶えているものだ。
「さすが総帥、完璧だよ。ありがとう」
「どういたしまして」
私が茶化すようにお礼をいうと、彼は濡羽色の瞳にいたずらっぽい光を瞳に浮かべて気取って言った。
「すぐにメイドがくるから待ってろ。きたら呼んでくれ。オレが出るから」
私を月明りにさらさないために配慮だろう。私は少し嬉しくなる。
デスクの上の書籍を手に取ると、私の座っているソファとテーブルの前を通りレオンは図書室に続く扉のノブに手をかけた。立ち止り、ふと思い出したように言った。
「そういえば、こういうのは久しぶりだな。子どもの頃はよく泊まりにきていた」
その言葉には懐かしむような響きがあった。
 
そう、ほんの子どもの頃、よく母と共に泊まりに来ていた。
その時はロッジではなくて母屋であったけれど。
私たちは一冊の本を読みあっていた。それは勇者とお姫さまの冒険の物語で、彼は勇者で私はお姫さまだった。夜になり、母と小母さまに止められいったんは本棚に返したのだけど、私たちは部屋を抜け出して月明りの下で一緒に夢中になって読んだのだ。
無邪気な想い出に胸が熱くなる
彼はゆっくりと振り返った。目が合う。
「一緒に本を読んだ。こんな満月の夜だったな」
 
憶えていてくれたんだ。
彼の記憶力なら当然のことかもしれない。
でも私には嬉しかった。
彼と同じ記憶を共有していることを
彼も懐かしんでいてくれたことを。
 
レオンと一緒にいたかった。
 
多分、弾むような声だったと思う。
「レオン、お前にご教授願いたいところがあったんだ。私も一緒してもいいか」
「お前が“ご教授”とは珍しい。いいよ、何なりと」
吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳を細めて微笑んだ。
そこにはあの日の、少年の彼の面影があったような気がした。
 
トントン
 
ロッジの扉をノックする音。
 
「じゃあその前にお茶としようか」
 
 
望月の夜というのもいいものかもしれない。
彼の美しい後姿を見て、私はそう思った。