Opalpearlmoon

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ケーキと優しい昼下がり

あたしは二カ月ぶりにパイロット製図用インクのふたを気合をいれてあけた。
そしてペン先を浸す。
上質紙に試し描きをする。
ああ、このすべるような感覚。
このためにマンガ家やってるのよっ!!
そして、あたしが気合をいれて原稿用紙にペン入れをしようと構えた、
その時だった。
 
トントン。
 
ドアをノックする音がしたの。
うちの安アパートにドアリンなんて高級なものはついていない。
いつもなら、これからが勝負ってとこに何ようるさいわね!ってなるんだけど、今回は違う。
だってあたしはノックした人を知ってるんだもの。
二回目のノックの音の方が大きい叩き方。
それをする人はね……
「和矢!!」
あたしは弾む気持ちでドアを開けた。
「ご明答。ちょっと用があって近くまできたからさ……あがってもいい?」
狭いアパートの廊下に、あたしの和矢が立っていた。
「土産もあるぜ」
和矢は白いケーキの箱を持ちあげてみせると、悪戯っぽく瞳を輝かせた。
 
和矢はちょくちょく、あたしのアパートに来てくれる。
理由はまちまちで、新宿まで買い物にきたから、とか、神保町にレポートのため古本をみにきたから、とかそんな感じ。
近くまできたからとか言ってるけど、和矢は横浜で、飯田橋までくる用事なんてそうそうない。
バイクだから都心でもすいすいいけるって言ってたけど、それでも近くはないわよね。
だから、きっとあたしに気をつかって来てくれてるんだと思う。
お土産も持ってきてくれるしね。
あたしが飢える手前の生活をしてることを知ってるんだわ。
ああ、和矢は優しいわ。
あたしは感動しつつ、狭い玄関で窮屈そうに靴を脱ごうとする和矢に気をつかってケーキの箱を受け取ろうとすると、
「こら、マリナ、やるから、おまえのものなんだから、奪い取ろうとするんじゃない!」
そ、そんなんじゃないわよ!
あたしは動きづらそうだから気をつかっただけよ!
 
「なに、今原稿中?」
あたしが和矢から奪い取った、もとい、受け取ったケーキの箱を冷蔵庫にしまってるとうしろから声が聞こえてきた。
あたしに机の上に整然と並ぶ原稿を見たらしい。
そうよ!そうなのよ!!
松井さんの頼みこんで拝みこんでようやく通してもらったプロットが採用されて、読切枠をもらったのよ!
ああ、ずっとずっとプロットをかいては没、ネームまでいっても没だった日々……
それももう終わり!
約二か月ぶりのペン入れなのよ、わっはっは。
この原稿にあたしの未来がかかってるんだからね!
あたしが喜びあふれんばかりにかたると、
「掲載とったんだ、よかったな」
和矢は自分のことのように嬉しそうに顔をほころばせた。
「おまえ、がんばってたもんなー、よし、今日はオレが手伝ってやるよ」
「いいの?」
「いいの、っておまえいつも手伝わせてるだろ」
あは、そうだっけ?
あたしがあははと笑うと、黒い瞳にやれやれといわんばかりの光を浮かべてこちらを見た。
 
机のまわり置いてあった道具を片づけ、座布団をひいてあたしのはす向かいに座れる場所を作った。
ほんとはね、並べてやりたいんだけど、何しろ狭い部屋に狭い机だもの、仕方ない。
向き合って作業をする。
とりあえず、今は枠線を入れてもらってる。
そしてそれを受け取りペン入れをしていく。
そう、和矢って、手先が器用なのよね。
斜め前で長いまつげを伏せて作業する和矢をみる。
最初は手間取っていたけどすぐに上手になった。
今ではベタもフラッシュもトーンもあたしより上手いくらい。
おまけに美形なんだから、モデルにもなれる美少年アシスタントとして食っていけるわ……
和矢が将来仕事に困ったら紹介してあげようかしら?
ああ、でもそんなことしたら、モテモテで困っちゃうわ。
女ばかりの中の黒一点って、揉める元だものね。
あたしとしては、それは困る。
そんなことを考えながらペン入れしてたんだけど、進まないこと進まないこと。
それじゃいけないと思いなおして、気合いをいれなおすと、集中して描きだしたのだった。
 
大体一時間半くらいすると集中力が切れてくるのが人間ってモノ。
そこで休憩をすることにしたの。
机の上を片付け、立ちあがってペン入れをした原稿をカーテンレールにつるしたクリップに丁寧に原稿を挟んだ。
原稿を汚さないためと、インクをしっかり乾燥させるためよ。
それから台所に立って、やかんに火をかける。
あ、そうだった。
「和矢、そういえばうち紅茶ないわ」
そんな嗜好品うちにあるわけがないじゃない。
「そういうと思って買っておいた」
胡坐で座ってたままふりかえり、ニヤリとわらうと、和矢はかばんからリプトンのティーパックをだしてあたしにみせた。
見透かすように見上げる瞳は笑っている。
流石和矢!用意がいい!
と喜んだんだけど、はて、女としてこれでいいのかしらね。
まあ、いっか。
あたしは細かいことは気にしないたちなのよ。
あたしはそれをうけとり紅茶をつくり、お茶の準備をした。
そして、ケーキの箱を開けた。
きゃあ、ショートケーキ!
あたしはケーキなら満遍なく公平になんでもスキなんだけど、ショートケーキはケーキの代表って感じがして、スキ!
しかも、うちのそばの評判のケーキ屋さんのじゃない!
高いとも評判であたしには高嶺の花だったやつだわ!
うきうきしながらお皿に取り分けて、あたしと和矢の前に置いた。
和矢を見ると、どうぞというように長いまつげをはばたかせるようにウィンクをした。
フォークで大きくとって、頬張る。
「おいしいっ!」
あたしはなんでもおいしく食べるけど、その中でもこれはとってもおいしかった。
夢中で食べていると、和矢が微笑んでこちらをみてた。
「食べないの?」
「いや、うまそうに食うなって思って。見てるだけで満足するよ」
それから、やるよ、といってあたしの前においた。
「ほんとはさ、また没続きで落ち込んでんのかなって思ってて。掲載祝いになってよかったよ」
その瞳にはあたしをおもいやる気持ちにあふれていた。
掲載が決まったっていったときも、本当に嬉しそうに、満足そうに笑ってあたしの気持ちに寄り添ってくれた。
和矢は、本当に優しいのね。
こんなに優しい和矢があたしのそばにいてくれることを嬉しく思った。
その気持ちに応えたい。
「じゃあさ、半分こしない?全部は悪いわ」
いつもならありがたくいただいちゃうけど、こんな優しさみせられたら、全部はもらえないわよ。
ああ、あたしって、優しい!
和矢は黒い瞳を丸くすると、それから可笑しそうに笑いだし、息も切れ切れにいった。
「普通、遠慮するとこなんだけどな。まあマリナがくれるってことはそうないしな、ま、いっか」
それって、どういうことよっ?!
 
ケーキを食べ終わると、日も傾き、あたりは暗くなっていた。
「じゃあさ、オレもうそろそろ帰るわ。親父さんが心配するし」
立ちあがり、バイクのキ―をポケットからだす。
リーチの長い和矢は三歩で部屋を横断し、玄関で座り込んで靴をはいた。
そうね、今までいろいろあったし、家族に心配かけちゃいけないわ。
あたしも見送るため玄関まででた。
ドアを開けて廊下にでてから、ふりむいた。
そのときの和矢の、眼!!
黒く神秘的な瞳に甘やかな光がゆらめいて、あたしをとらえた。
甘い予感に立ちすくむ。
綺麗な指先があたしの肩にのり、ゆっくりと距離が近づいていく。
え、ええーこれはキス!!
どーかんがえても、これはそういうムードよ!
どきどきしながらもあたしは思った、ああ、でもここで受けなきゃ女じゃないわ!!
あたしは眼をつぶり、キスしやすいよう少し背伸びをしてその時を待った。
しかしその感覚はおでこに柔らかく、ふれた。
「あ、ごめん。低くておでこまでしか届かなかった」
驚いて見上げると、イタズラな瞳ですまして呟いた。
あー、からかったな!
あたしは、勝手に期待した恥ずかしさと、からかわれたむかつきで顔が真っ赤になるのを感じた。
えーい、和矢のバカヤロウ!!
そんなあたしを和矢ふっとわらって、綺麗な指先を頭に乗せたかと思うと、風のように和矢の唇があたしの唇をさらった。
そのままくるりと背を向けて、
「じゃあな、原稿がんばれよ」
そういうとキ―を持った右手を上げてひと振りして、黄昏の中階段を降りていった。
 
あたしは、呆然とその背中を見つめて、それからさっきとは違う意味で顔が真っ赤になったのだった。