Opalpearlmoon

Yahoo!ブログから移転しました。

Xmas kiss 前編  マリナの欠片

 
ちょっとっ、危ないわねっ!
 
我先にと降りるたくさんの人の流れに、ゆでたての枝豆のようにつるんと弾き飛ばされて、よろめきつんのめりながらあたしは上野の駅を降りた。
そのままころんと転がって行ってしまいそうだったのを必死でこらえて、かよわいあたしを押し出したやつをにらんでやろうと振り返ったときには、そこに誰もいなくて、音を立てて電車のドアが閉まったところだった。
あたしのことなんかだーれも気がついてやしない。
くっそ、大都会東京は冷たいわ!
ムカッとしながらも、とりあえずずれたメガネを直そうと、よろよろとベンチに向かい、腰をかけた。
そうそう、漫画家らしく飯田橋ところか自宅の安アパートからも滅多に出ないあたしが、どうして上野くんだりまで来てるって?
ふふっ、それはね、和矢とクリスマスデート、だからよ♡
和矢には学校や家のことがあったし、あたしにもちょっと仕事があってね、今日25日の午後からの約束となったのよ。
日本じゃクリスマスって言ったらクリスマスイブ、25日はおまけ程度の扱いで、気分はすっかり年末ムードとなるもんなのに、なぜだか電車は混んでいたのよね。
クリスマスを甘く見てたわ。
場所は、上野動物園
これはあたしのリクエスト。
若干ベタなような気もするけど、動物園に行きたかったの。
幼稚園ころから転勤続きで、短ければ一か月、長くても一年半くらいしかいられなくって、東京に出てきてからも漫画に精いっぱいで動物園ってあまりいったことがなかった。
遠足に行けなかったことも多かったし、しっかり見て回ったことが無かったのよ。
少女漫画には基本動物は出てこないし、出てきても猫や犬程度。少年漫画みたいに上手に描けないといけないってもんでもないからスケッチにくることもなかったからねえ。
和矢にどうしたいか聞かれてそう答えると
“じゃあ、上野動物園にしようか。こっちで考えてたんだけど、それならやっぱり上野だろ。あの辺ならおまえん家からも行きやすいし”
優しく笑って、段取りをすべて決めてくれることになったのだった。
あたしは付いて行くだけ、きゃあ楽しみ!
それに今日はクリスマスよ、クリスマスデートよ、恋人たちのクリスマスデートなのよっ。
ディナーとか、プレゼントとか!!余計に期待しちゃうっっ。
さっきまでのムカついた気分はどこへやら、ウキウキした気持ちでメガネをなおし、和矢のもとへ向かおうと立ちあがろうとした時、一瞬ふらっとしたのよ。
あたしは少しお尻を浮かしただけでまたすとんと座り直してしまった。
あれ、おかしいな……。
さっきだって、いつもだったらこれくらいの人波で押し出されたりしないのに、踏ん張り切れなかった。
ここのところ徹夜続きだったから、やっぱり疲れてるのかな。
そう、昨日までげに恐ろしき年末進行、だったのよ。
まあもちろん、あたしのじゃないんだけどね……
三流漫画家で、連載なんて程遠く読切すらなかなか描かせてもらえないあたしにとって、ある意味あこがれの年末進行。
一般企業である出版社や印刷所は年末年始にはお休みに入るため、それに合わせて締切が前倒しになり、漫画家はいつもより早く原稿を仕上げないといけなくなる。
余裕をもって仕上げる漫画家ならいいんだけど、だいたいの漫画家は締切ギリギリにひいひいいいながら原稿を仕上げてる訳で、それがさらに過酷になるのが年末のこの時期なの。
猫の手も借りたいこの時期、あたしはアシスタントとして知り合いの漫画家の阿鼻叫喚の年末進行を、はしごしてきたのだった。
あたしはこれでもデビューをしたプロの少女マンガ家よ。ほんとはアシスタントなんてしたくない。
でも背に腹は代えられない。
お金がいるのよお金が!
和矢にクリスマスプレゼントをするためのお金がほしかったからよ。
え、意外だって?!
そ、そりゃああたしは貰えるものはなんでも貰うってのがポリシーだし、貰いっぱなしでも気にしない性格だけどっ、人にプレゼントをしないってほどケチじゃないわっ、失礼ね!
クリスマスだもん、大好きな和矢に心をこめてプレゼントをしたかった。
そうはいっても、アシスタントで稼げる金額はしれてるし、和矢ってお金持ちだけあって結構イイものもってるのよね……
和矢は優しいから、なんでも喜んで受け取ってくれると思うけど、そこはセンスの見せどころ、素敵なものを渡したいじゃない。
何にするか考えに考え、迷いに迷って、予算と相談した結果、革製のキーホルダーにすることにした。
空色に染め抜いた本革のキーホルダー。
バイクに乗るしちょうどいいかなと思ったのよ。
気にいってくれるといいなあ。
そうしてアシスタント帰りの今日の朝、新宿でキーホルダーを買い、一度家に帰ってお風呂に入ってから、お洒落をして上野へきたってわけ。
ふふっ、あたしの一張羅。
襟と袖にフリルのついた白のブラウスに黒のリボンタイと、モスグリーンのベルベット生地のワンピース。後ろに大きなリボンがついていて、ギャザーの入ったスカートがふわっと広がって、可愛いのよ。
袖にリボンのついた白いコート、それに白のタイツに黒のエナメルの靴、おニューの真っ赤なちょんちょりんっ!
キーホルダーはこれまたおニューのお花のワッペンのついたの可愛いトートバックに入ってる。
いつものスウエットにサロペット、ペタンコのバレエシューズにくらべたら格段の装いよ、おっほっほ。
和矢ったら、驚くかしら、楽しみだわっ。
あれ、そういえば今何時だったかしら。
ふらつきも収まり、時計を見上げると、二時十五分!
きゃあ、待ち合わせ時間に遅れてる!こんなとこで座ってる場合じゃないわ。
あたしはいそいで立ちあがると、ホームを走り出したのだった。
 
 
JR上野駅の中央改札口をでて、薄暗い駅内を見渡すと、探さなくてもすぐに目に入ってきた。
待ち合わせで混雑する駅内でもひときわ目立つ、壁にもたれかかるようにして立つ長身の少年。
流れるような黒いくせっ毛、神秘的な黒い瞳、精悍な面立ち。
紺色のダッフルコートにジーンズ、チェックのマフラー、黒のスニーカー。
 
和矢。
ああ、あたしの和矢だ。
 
「よお」
ふと顔を上げ、あたしに気づくと、照れたように右手をあげる。
彼のいる場所は、まるでそこにだけ光が差し込んでいるかのように、輝いてみえた。
 
「ちょっと遅れちゃった。待った?」
「ううん、オレも今来たところ」
あたしが和矢のもとに走って行くと、彼は笑って答えた。
とりあえずホッとして息をつくと、彼がなんにも持ってないことに気がついた。
……今日、クリスマスよね。
なんで、手ぶらなのっ?プレゼントはっっ??
どこかに隠してはいないかと、しげしげと頭から足先までみて、さらにキョロキョロと観察するあたしを、和矢は呆れた果てた顔をして見返した。
「おい、マリナ、出会いがしらにそんなもの欲しそうな顔すんなよ」
あれ、ばれちゃった?
あたしがごまかし笑いをすると、
「わからない訳ないだろ。
プレゼントは心配しなくても用意してあるよ。ちょっと重くてかさばるから、ロッカーに入れといたんだ。
楽しみにしてろよ、マリナちゃん」
そういって和矢は悪戯っぽく瞳を輝かせて、あたしの顔を覗き込んだ。
きゃあ、重いって、かさばるって、何かしら?
あたし、重くて大きな物は大歓迎よ!!
すると和矢は、今度こそ嫌そうな顔をしていったのだった。
「おまえ、ほんっとうに現金だよな……」
うっ、まずいっ、そういうつもりはなかったのよ、ただ素直に喜んだだけなのよ。
信じて、ねっ!?
そこで駅前の信号が青に変わり、歩道から明るい音楽が聞こえてきたの。
あたしは話を変えようと、慌てて和矢の手を引っ張っていった。
「いーじゃない、そんなこと。ねっほら、行こう!」
和矢はふうっと息をつくと、焦るあたしの姿がおかしかったのか、くすっと笑った。
「じゃあ、行こっか」
そして掴むあたしの手を優しく外し、黒い瞳をはにかませて、あらためてあたしの前に左腕を軽く曲げて差し出した。
「うんっ!」
まっすぐみつめる瞳にドキドキしながら、あたしはぎこちなく逞しい腕に両手を添える。
 
そして目の前の交差点を、あたしたちは腕を組んで、一緒に歩きだしたのだった。