Opalpearlmoon

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地獄の釜をひらいてみよう~だいじょうぶ?だいじょうぶ。~

 
 
藤本ひとみファンの間にはうっかり触れると地獄の釜がひらく話題というものがあります。
パラドクス問題、チェイカ―信任案、赤いモルダウ議論などなどいろいろありますが、その中の一つ「大丈夫だ論争」について取り上げてみたいと思います。
ことの始まりは「愛と哀しみのフーガ」上巻の、異例のまえがきでした。
「愛よいま、風にかえれ」上巻P23に書かれた、和矢が「大丈夫か?」と問いかけシャルルが「大丈夫だ」と応えるこのシーン。
まえがきによると、八割の人が意図を組むことができず、わかってると思ってる人の半数が正しい解釈をしておらず、七種類もの解釈があったというこのシーン。ここまでいうほど難解だったわけですが愛読者としては作者の意図は正確に読み取りたいところですよね。
  いったい何が「大丈夫」だったんだ……!!!
抽象的な会話とマリナから見た二人の様子から読みとるしかない訳です。
 
私は、マリナを抱きしめるというシャルルらしからぬ冷静さを欠いた行為に自分が思っていた以上に真剣な愛情を抱いていることを知り、嫉妬心よりも不安定になっているだろう精神状態を心配した。
→大丈夫か?
対してシャルルは瞳と表情から記憶が戻っていることを知り、対決をするかもしれないとの上で身構えたのだけど、それよりも自分をいたわろうとする和矢をみて、マリナを任せようと思った。だから心配するな。
→大丈夫だ
と解釈していました。
「愛と哀しみのフーガ」にジルの言葉として詳細に語られていて、そう間違ってもいなかったわけですが……うーん国語のテストなら八十点くらい?()
このくらいの誤差ならスルーしていける範囲だと思うので、物議を醸しだすようなまえがきを書くほど異なっていた七通りの解釈ってなんだったんだろう。気になる。
 
和矢寄り、シャルル寄り、マリナ寄り、と読者によって見方は変わりますし、初読の年齢によっても変わってくるでしょう。
私は和矢がシャルルに対してより深い理解をしていたということで、和矢寄りの解釈をしていたと思っています。
読者と作者に混乱をもたらした「大丈夫だ論争」。大人になった今、このあたりのことをどう思ったか話し合えたら楽しいだろうな、と思います。
 
ちなみに当時リア友は私を含め、ふふん私にはわかっていたわよ、って感じで口にしませんでした。内心自分の解釈が正しかったかどうか確かめるのが怖かったんだと思っています()