Opalpearlmoon

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凱風きたりて  銀バラの欠片

 
今日の進路面談は散々だった。
 
時おり強く吹きつける風にあおられながら、門から続く道を歩いている。
 
冷泉寺、おまえが北高だなんて何を考えているんだ
おまえの成績ならどこでも狙えるんだぞ
悪いことはいわない
考え直せ
なっ!
 
担任の教師は驚き嘆き、学年主任まで呼ばれて、えんえんと説教と説得と懇願の混じった話を聞かされたのだ。
うんざりしてしまう。
確かに偏差値という意味では、私には低いというのはわかる。
教師からしたら、血迷い事のように聞こえるのもわかる。
高校というのは将来をきめる最初の足がかりだからな。
しかしだ、一番に優先されるべきなのは私の意思のはずだ。
両親は私には私の考えがあると尊重してくれているのだろう、認めてくれたというのに。
大体、勉学というものはどこであっても志さえあれば、十二分に学べるものなのだ。
私はその実例をよく、知っている。
苛々した気持ちのままに早足で庭を突っ切ると、乱暴にならない程度の強さで勢いよく母家のドアを開けた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
出迎えたメイドに声をかけ、室内履きに履き替え靴をしまおうとした時、客用の靴箱に靴があるのがみえた。
こちらに客か、珍しいな。
父への客は大体研究所の方に行くというのに。
横目でみて室内にあがったとき、
「お嬢さま、鈴影さまがおみえになっています」
驚いて、思わず渡そうとした鞄を落としかけてしまった。
鈴影の家で、今うちにこれそうなのは一人しかいない。
レオンハルトがきているのか」
「はい、応接間でお嬢さまをお待ちです」
鞄を受け取ると、お茶を淹れるためだろう、急ぎ気味に奥へと向かった。
うちに何の用だろう。
私は逸る心をなだめながら、玄関の鏡で先ほどの強風で乱れた髪と制服のリボンの歪みを直し、応接間へと向かった。
そこには、大きな窓からふりそそぐ陽の光の中で、北高等学校の制服をきたレオンハルトが悠然とソファに座っていた。
紺色のブレザーにエンジ色のネクタイをきっちりとしめている。
制服特有の初々しい質感が威風堂々としたレオンと全くあってなくて、私はみるたびに笑ってしまう。
「珍しいお客様だな」
レオンはとこちらを向き、ゆっくりと精悍な頬をほころばせた。
 
「今日はどうしたんだ?」
言いながら、彼の真向かいのソファに腰をかける。
「母から小母さんに頼まれたものがあってね。望むことは全部かなえてやりたいから、オレが直接持ってきた」
ああ、そうか……
小母さまが病気療養のために日本に来てからもう三か月が立つ。その付き添いでレオンは日本に滞在しているのだ。
とても綺麗で優しいかたで、小さい頃よくお世話になったものだ。
来日してすぐに母とお見舞いにいったときは、ひどくやつれていて、病とはこんなにも残酷なものかと哀しくなったことを鮮明に覚えている。
小母さまのことを思い、胸が痛んだ。
「小母さまはどう?」
「最近はだいぶいいよ、朝は庭に出ることもできたし。やっぱり日本は落ち着くんだろうな」
そしてふっと懐かしげに窓の向こうに目をやる。
「昔みたいにここにもつれてきてやりたいね」
小母さまをかたる時のレオンは、どんなときよりもやさしい瞳をしている。
私は、そういう彼をみるのが好きだった。
そこでメイドが私にお茶を持ってきてくれた。
私の前にお茶を置き、彼女が下がったのを見計らうように、レオンが口を開いた。
「そういや、どうした?ずいぶん機嫌が悪かったみたいだが」
「ああ、今日は散々だったよ」
言ってから気付いた。
「どうしてわかった?」
「窓からみえた。ずいぶん勢いよく芝生を踏み分けていたな」
……見られていたのか。
うっすらと赤くなる頬を意識しながら、私は今日の進路面談のことを話した。
「オレは日本の学校のことはよくわからないけど、目指すことのために備えるのは良いことだと思うよ」
言って優雅な手つきで紅茶のカップを持ちあげる。
「星苑にいくのか?」
「あそこだったら中学からいってる」
ウチの傘下だからか、よく覚えてたな。
緊張をしながら、余計な意味を持たないよう慎重に言った。
「北高」
レオンは黒い瞳を少しだけ大きくして、それから静かにカップに口をつけた。
そこには意外という感情以外見えず、それに安心しつつもわずかに寂しく思いながら、私は付け加えた。
「家から近いから」
「おまえらしい理由だな」
「おまえだって、そうだろ」
「それもそうだ」
クスッと笑うと、彼はソーサーにカップを返した手で、緩やかに腕を組んだ。
「悪いところではないと思うよ。自由もきくし」
自由ねぇ……
私はレオンの肩に流れる髪をみる。
男の長髪を許可している学校なんて日本じゃそうないだろう。
まったく、どうやって言い含めたんだか。
「おまえがそういうなら余計に安心だよ。学校の方針で勉強や部活に追われるより、自由にできたほうが私にもちょうどいい。」
家から近いのは使える時間を増やすため。
ある程度の自由が保障され、その中で勉強や部活を有効に行うため。
もちろん、それも理由だ。
 
でも、それだけじゃない。
本当の理由は、ひどく馬鹿だということはわかってる。
教師にも、親にも、もちろんレオンにも言えるわけがない。
私は、私の将来において選んだ理由を後悔するだろうか。
 
いや、しない。
てやるものか。
 
決意を、私はもうしているのだから。
 
「もうそろそろ日も傾いてきたし、おいとまするよ」
15分ほど話をしたところで、レオンは腕時計に目を落とし、ゆっくりと立ち上がった。
「玄関まで送る」
本当は車まで行きたかったけど、それはやりすぎだ、してはいけないことだ。
私は先んじて歩き、玄関につくと、彼がドアを開けて振り返るのを静かに待った。
「今日はありがとう。
おまえの顔も見ることができたし、母に良い報告ができるよ」
レオンは瞳だけでやさしく微笑った。
「こちらこそ小母さまにまたお会いしたいと伝えてくれ」
名残惜しくて、私はレオンの離したドアを受け取るように支え、半身をさらすようにして応えた。
 
その時だった。
いきなり風が吹きつけドアを大きくあおり、私の手からさらわれ、そして一度限界まで開くと、その反動と重みで勢いよく私に向かってきたのだ!
グイッと引っ張られて、気がつくと私は玄関の外に出ていた。
振り向くと、ドアは大きな音を立ててしまったところだった。
「危なかったな」
すぐ前に制服の紺色が見え、さらに見上げると、風に舞う髪の向こうにレオンの凛々しい瞳がみえた。
 
息が止まりそうだった。
 
たぶん、あのとき私の動体視力と身体能力なら後ろに逃げることもできたと思う。
それより早く動いて私を助けてくれた。
こういうことを平然とできるのがレオンなのだ。
尊敬と思慕が混ざり合い、心臓がぎゅっと痛くなる。
 
「ありがとう、助かった」
やっとの思いで礼の言葉を息をついて応えた。
彼には驚きのあまり立ちすくんだように見えたのだろう。
強く掴まれたことで引きつった私の制服を直し、気つけのようにポンと私の背中をたたいた。
「今日は風が強いからな、気をつけろよ。
 じゃあ、また今度」
言って踵を返そうとしたとき、今までとはうって変わった、そよぐような南風が吹いのだ。
 
それは彼の髪を優しく揺らし、私の制服のリボンを震えさせる。
眼が合う。
レオンは季節外れのそよ風に微笑んで……
それから後ろを向き車へと歩んだのだった。
 
 
 
大きな背中を見送りながら、その紺色と同じ色の制服を着たいと、
私はあらためて強く想った。