ふたたびそういえる日のために。
『ユメミは、レオンさんが好きなんだ……』
アキの言葉が耳に焼きついてる。
レオンはすげえやつだ。
あいつのプレーは完璧だ。ゴールを割られたことは一度もないし、ポジションはなんだってできる。
サッカーだけじゃなくて、なにをやっても人並み以上にこなすんだ。
レオンはもてる。
当たり前だ。ドイツ人で、背が高くて、ハンサムで頭もいい。
それはよく知ってる。あいつをみる女子の眼はいつもハートで、それが普通だったから。
だからおまえもそうだろって思ってて。
そのときのおまえの眼に浮かんだ、動揺の色さえなけれみなければ。
『レオンのこと、好きなの?』
そう聞くたびにオレは狼になって、答えを知ることはできなかった。
頬杖をついて、見まわす。
大きな窓から差し込む光、四枚の扉、机に椅子、その上の花瓶。
デスクにはレオン。その上にはレオンの肖像画がかかっている。
今日はロッジでの勉強会。
銀のバラ騎士団入団のための勉強を始めてから、もう二年にもなる。
予定より遅れ気味だということで、休みを利用して集中的に勉強をすることになったんだ。
涼しい顔をしてレオンが古めかしい本を読みあげ、それをノートにとる。
オレの向かいの席に、ユメミ、その隣に冷泉寺、オレの横には、アキ。
いつものロッジの風景。
ちょうどオレの視界に一緒に入ってくる。
彫刻のような顔のレオン。
真剣な顔をして聞いているユメミ。
今までと全く変わらない光景。
それにオレはムカついている。
いらいらしてる。
「じゃあ、きょうはここまで」
レオンは、静かに本を閉じ目をあげてこちらを見渡しながら、いった。
とたん空気が緩み、顔を見まわしてふうっと息をついた。
いつもならユメミの淹れた茶を飲みながら世間話でもするんだけど、急きょ決まった勉強会だったからみんな時間に余裕がなくて、早々に解散することになっていた。
机の上を片づけて立ち上がった時、レオンは少し哀しそうにもみえる目をむけていつもと変わらなく、いった。
「高天、ユメミを送っていってくれないか」
いつもの顔。
いつもの言葉。
いつもの、命令。
「ああ、オレ今日学校寄ってかねーといけないから、無理。アキにでも頼んでくれ。それか……」
“レオンが送ればいいじゃないか”
いえなかった。
「なんでもない、じゃあ、急ぐから」
オレは顔をそむけて、逃げるようにロッジを後にした。
アキと冷泉寺の視線を背中いっぱいに感じながら。
オレ達は秘密を共有している。
冷泉寺はいつもなにか言いたげで、アキはなんだか悟った顔だ。
そのことを口に出すことはなかった。
お互いを監視するようして、意味ありげな沈黙を共有しているだけだった。
ユメミは、いつもと変わらない。
オレ達のむける視線なんて気付いてもいない。
レオンも、いつもと変わらない。
少し哀しげな眼をして、悠然と微笑んでいる。
それが気に食わない!
『好きだ』
神聖オーディン帝国で、まるで理性が壊れたかのように想いを吐き出し、ユメミを抱きしめたレオン。
『君が、好きだ』
ユメミの白い腕がすがりつくようにレオンの背中にまわったのを見たとき、オレは問いの答えを知った。
本当は用事なんてなかったんだけど、学校に寄るなんていった手前、そのまま家に直行することはできなかった。
多分、アキか冷泉寺がユメミを送ることになるんだろう。鉢合わせしたら気まずい。
とりあえずいったとおりに学校へ行き、グラウンドで走りこみとリフティングをして汗をかいて、すっかり夜になってから家に帰った。
オフクロの用意してくれた夕メシをチンして食って、風呂に入り、テレビをつけた。
いつもなら笑える番組も、全然面白いと感じられなくて、早々に電気を切って抱えるように足をまげてベッドに横になった。
眠れないままいると、電話がなった。
オレの部屋には子機があって、遅い時間の電話ほぼオレ宛てだから、こっちに全部かかるようになっている。
立ちあがって、受話器を取った。
「こんばんは」
アキだ。
「高天さんすぐに帰っちゃったでしょ?あのあと時間の変更が合ってさ、明日の勉強会、午後から午前中に移動だって」
「ふーん」
「みんな、くるから。高天さんもくるよね?」
かすかに緊張していて、気遣うようにきこえた。
アキは勘がいいから、今日のオレの態度に引っかかるものを感じたんだろう。
だから、レオンでもユメミでもなくて、アキがオレに連絡してきたんだ。
何を心配するんだ、アキ?
オレのことを?
それとも、秘密のことを?
自然と唇がゆがんだ。
「ああ、いくよ。じゃあ」
真綿で絞めるような気遣いにいらついた。そのことをアキに知られないよう、短くいってから、切った。
「なんでもねえよ」
受話器に手を置いたまま小さくつぶやいた。
パーカーを羽織って、オレは窓をあけてベランダにでた。
気分を変えたかったんだ。
もうそろそろ夏だっていうのに、風は肌寒かった。
ベランダの柵に両肘をついて、腕を抱える。
みると、ユメミの部屋の明かりが見えた。
……ユメミ。
オレは大きく空を仰いで、月のない空にかがやく星だけを眼にうつした。
あいつの記憶がないってことはわかってる、
でもオレはおぼえてるんだ。
起こったことを、なかったことになんかできない。
しらなかったことになんか、できない!
あの後、レオンはなにもいわなかった。
ただ、あれからずっと態度も立場もなにもかも以前と変わらなかった、それだけ。
ホッとしたし、そのことでなにかする気はないぜ。
いわねえよ、誰にも。
だけど、知ってしまった以上、変わらないでなんかいられねえよ。
おまえにも、あいつにも。
かるくうつむいて、もう一度ユメミの部屋のあかりを見つめた。
……ずいぶんと遠くになったような気がした。
翌日、ロッジに行くと、そこには誰もいなかった。
そういや昨日、時間変更の電話があったっけ。
いらだって聞いていたからすっかり忘れてた。
ってことは、もう勉強会は終わったってことか……。
無断欠席自体はなにもいわれないと思うけど、アキのやつがまた勘ぐるだろうな。
仕方なく来た道をもどり、屋敷の正面の広い芝生の前まで出た。
目の前に広がるサッカーコート。
レオンの家にはサッカーコートがある。
105m×68mが屋敷の東前にドンとあるんだぜ。
考えられるか?
都心のド真ん中で、しかも庭はこれだけじゃない。
囲む木立と大きな屋敷をぐるっと見渡した。
そういう家の生まれなんだ。オレたち庶民とは全く違う。
それなのになんでユメミなんだ。
あいつはオレと同じはずだ。
なんでなんだよ!?レオン!
オレはサッカーボールを取り出し、苛立ちのままにゴールに向けて蹴りあげた。
真っ直ぐに吸い込まれてネットを揺らす。
戻って、また左サイドに打ちこむ。
どれだけ繰り返しても、いらだちは消えなかった。
思いきり踏み込んで蹴りあげた一発は、ゴールポストに跳ねかえり、ラインをこえて飛んでいった。
ちくしょうっ!
イライラしながらボールを取りにいって、ペナルティエリアのラインの上に立った。
いっそのこと、あの彫刻のような面を一発ぶん殴ってやれば、少しは気がはれるのかもしれないな。
なんて思いついた、その時だった。
「シュートの練習か?」
振り返ると、レオンがサイドラインの向こうに立っていた。
長い髪を揺らして、腕を組んで。
オレが見とめるのを確認してから、 オレの隣まで歩いてきた。
「ああ、ごめんレオン。勝手にコートつかって……」
許可なく練習していたことをあやまると、
「いいさ、最近はつかっていなかったから、おまえがつかってくれてよかったよ」
レオンはそうやさしくいってくれた。
それからサッカーゴールを見つめながらいったんだ。
「オレも久しぶりにやろうかな」
そして、人を呼んで、離れからボールカゴをもってこさせたのだった。
オレは、おどろいた。
レオンがそんなことをいうなんて思ってもいなかったから。
一緒にシュート練習なんて、オレや部員の誰かが吹っ掛けた時しかやらなかったからさ。
「じゃあ、はじめようか」
レオンはボールカゴからボールをとって、うながすようにオレに視線をむけた。
レオンの教科書に乗っているような理想的なフォームで蹴りだされるシュートは、少しのずれもなく綺麗な軌道をえがいてネットへと吸い込まれていく。
これまでなら尊敬をこめて見ていたレオンのプレーだけど、今はその完璧さが逆に癇にさわった。
ただのシュートの打ち込み練習なのに、いつのまにか競争をしているような気持ちになってきたんだ。
くっそ、ぜってー負けねえぞ!!
オレはどんな試合よりも集中してボールを蹴り続けた。
お互い一つも外さず、ゴールネットが揺れるばかりだった。
このままじゃ勝負がつかねえ!
そこで条件を変えてみようと思って、いった。
「少し離れて打つとかやってみない?」
レオンは片眉をあげてオレをみた。
「ロングシュートの精度を上げたくってさ。練習なんだし、そういうのも面白いじゃん」
のってこい!
オレは挑発してしまいたくなる気持ちを抑えながら、祈るようにレオンをみた。
距離があればあるほど、コントロールは難しくなる。
オレにとって不利なことだったんだけど、すっかりムキになっていたんだ。
「いいよ」
レオンは唇の片端をあげるようにして、わらった。
……しかしだ。
レオンのシュートは何も変わらなかった。
綺麗な軌道は距離の分だけ伸びただけだった。
なんであんなに正確に打てるんだよっっ、機械かよ。
内心焦りながらボールを用意しつつ、ちらりとレオンの横顔をみて、オレは眼をを見開いた。
レオンは、舞う髪の向こうで、険のある光をうかべてうっすらと頬を緊張させていた。
えっ。
呆然とみつめる前で、レオンの蹴ったボールは軌道を外れ、少しふらつきながら、それでもゴールのなかに落ちた。
完璧なレオン。
変わらないレオン。
でも、さっきのあの表情。
あいつが焦っているように……いらだっているようにオレには見えたんだ。
ほんとのところ、それがどんな感情なのかはわからない。
だけど、あいつもそんなふうに思うんだ。
あいつだって、感情を隠しきれないことがあるんだ。
変わらないわけ、ないんだ。
そう思ったら、オレの中で張りつめていたものがふっと消えたような気がした。
それからオレたちは日が傾いて空が薄墨色に染まるまでコートにいた。
結局オレの集中力が切れて、負けたんだけどな。
家に帰ると、すぐに電話がかかってきた。
アキかと思い受話器をとると、ユメミだった。
「ちょっとでてきてくれる?」
いそいで玄関をでて庭に出ると、フェンスの向こうにユメミが立っていた。
「今日ロッジに来なかったでしょ?光坂クンが心配してたわよ。 来れないならそう連絡しなさいよ」
ほっぺたをふくらませて唇を尖らせているけど、口調から心配してくれているのがわかった。
「なに、心配してくれんの?」
からかうようにいうと、今度はやけに真面目な眼をしてオレを見つめた。
「だって、あんた前に霊に襲われたことがあったじゃない。突然いなくなって心配したんだから。人狼は狙われやすいっていってたじゃないの」
ああ、オレが外法魔にとりつかれた事件。
たしかあのときもここだった。切なくて甘い記憶がよみがえってきて、オレは苦く笑った。
「あの時とは違う」
「変身するんだから人間でも狼でも一緒でしょ」
だから、そういう意味じゃなくてさっ。
真正面から説明するのは、恥ずかしい。
目をそらして、かるく横をむいていった。
「あれは……オレがおまえに無理矢理……たから変身しちまって、それで気持ちが弱ってたんだ。だからつけ込まれた」
「え、あたしは関係ないわよ。なにいってるの、あれはあんたがたまたま狼の時に狙われて……」
きょとんとした顔でいう。
えっ……?
どんだけみてもユメミの目には困惑しか浮かんでなかった。
……おぼえていないんだ!
オレがユメミに無理矢理キスしたこと。おまえに好きだといったこと。
天使のカンタレラ!
あの男はいってた、ユメミは天使のカンタレラを再び飲んで、過去の恋を全部忘れたって。
じゃあおまえは、多少でも、ほんのすこしでも、オレのこと、好きだったんだな。
オレの気持ちを受け取ってくれていたんだ。
渇いたオレの胸にそれは広がり、少しの潤いを与えた。
そうだ、オレはあのとき誓った。
おまえがおぼえていなくてもいい。
オレはおまえを守れるくらい大人になると誓ったんだ。
だから、いい。
オレは耐えられるよ。
その誓いを守るために。
「どうしたの……?」
ユメミは不審げに眉をひそめ、瞳を曇らせて見上げた。
のどに熱いものがこみあげてくるのと同時に、目のふちが赤くにじんでいくのがわかる。
それを隠したくて、ユメミの頭に手をのばしてぐいっと引きよせた。
それから胸に押しつける。
今までならドキッとするか、うるさそうな反応をするのに、大人しく抱かれたままだった。
オレはおまえが好きだよ。
おまえが誰を好きであっても、好きだ。
再びそう言える、日のために。