Opalpearlmoon

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銀色の檻

私は雨の日が好きだった。
優しい銀色の檻が私たちを閉じこめてくれるから。
 
遼はすぐにお屋敷の外へいってしまう。サッカー、バスケットボール、テニス、フェンシング…
新緑の若木のように、陽の光を求めずにはいられないのだ。
 
雨の日は1日中お屋敷で私とゲームをし、本を読み、お話をしてくれる。
いつも外の世界の話をしてくれたわ。友達とのシュート勝負、夏の虫の音と土の匂い、涼やかに流れる川の冷たさ、湖畔に沈む夕日の色…
ぜんぶ彼が教えてくれた。
私は居ながらその景色を、音を、匂いを感じることができた。
身体の弱い私はめったにお屋敷の外に出られなかったから、遼は私と外の世界をつないでくれる扉だったのだ。
彼を通して私は世界を知った。
彼こそすべてだった。
 
 
遼は伯父さまの仕事の関係でドイツと日本を行き来している。
数か月ぶりに日本に戻り再会した彼はまた一段と逞しくなっていた。背は見上げるほど高くなり、日焼けした肌は誇らしげに輝き、精悍な顔は自信に彩られている。
今日も差すような陽の下でシュートの打ち込みをしている。部屋からはサッカーコートが良く見える。私はいつもここから眺めていた。
ゴールネットを揺らすたびに喜び、跳ねる。その姿はまるでギリシャ神話のイカロスのようだった。羽ばたき飛び立つ、自由を求め…。
 
それにひきかえ私は……。窓にうつった自分に目をやる。
細いだけの身体。折れそうな手足。青白い肌。重い黒髪。精気のない瞳。小さな声。
成長期であること差し引いても不健康そのものの身体。
まるで釣り合わない。
日陰でしか生きられない私と日差しの下で輝く遼。
その差異は焦りと不安を駆り立てる。
いつか離れていってしまう。
あのまぶしい世界へ行ってしまう。
私の扉は閉じられ、触れることができなくなってしまうの…?
 
その時、規則正しくゴールに吸い込まれていたボールは放物線を描いてぽーんととんだ。
嘘だろう、と落胆する声がここまで聞こえてきた。
 
すうっ、とそれはおりてきた。あまりにも悪趣味な悪戯。いや、おまじない、それとも儀式?
大切なひとを失わない方法。
私には抗うすべも、理由もなかった。
 
お手伝いさんにいってサッカーボールを手配してもらい、私は父の倉庫にこっそりと忍び込んだ。
映画関係の仕事をしている父の倉庫にはいろいろなものがある。撮影に使ったもの、これから使われるもの、使われないもの…
乱雑に放り込まれているケースや棚の中を丹念に調べる。
あった。50グラムくらいの小さな鉛の玉。これがちょうどいいわ。
 
その夜、おまもりを作った。
サッカーボールを丁寧に切り裂き、そこに鉛の玉を入れる。
遼はいつも右のゴールポストぎりぎりを狙う。なら…
私は何回もボールを床に落として角度を調整し、一針一針縫い合わせながら祈った。
これさえあれば、きっと離れていかない。私と外の世界をつなぐ扉を失えるはずがない。
ずっとこのままでいられるはずよ。
子どもの浅知恵だと思う。それでも作り終わると満足感と安心感が私を満たした。
これを使うことなんてない。これをもっていれば大丈夫…
そう信じ込むことができた。だけど……
 
その時は唐突に訪れた。
そんなボールのことなどすっかり忘れてしまっていたというのに。
 
10月の木漏れ日の下、遼の幼馴染とともにやってきた。
騎士団の貴女だという。
発育の良い身体。健康そうな手足。血色のよい肌。柔らかいくせのある髪。明るい瞳。屈託なく響く声。
私とまるきり違う、正反対の少女。
そう、遼と同じだわ……
――陽の光の中で共に立つのが似合うひと。
もやのような不安が胸いっぱいに広がるのを感じた。
 
一通り自己紹介が終わると、騎士団入団予定の二人と貴女を庭に案内するといいだした。私は残る二人と共に屋敷に戻ることになった。
二人きりじゃないし大丈夫よ。それにあの二人はしきりに彼女を気にしてる。きっと好きなんだわ。どちらかが恋人なのかしら?それなら…
 突然後ろから悲鳴が上がった。
振り返ると、遼は小橋から落ちそうになっているあのひとを…
抱きとめていた。
 
避けるように身をひるがえすと自然に駆けだしていた。
私以外の女の人に触れている姿。力強い腕が腰に捲きつき深く抱いているようにみえた。
これは事故よ。優しいから、強いからきっと身体が動いたんだわ。
そんなんじゃない、そんなことにはならないわ!
 
 
屋敷につくと同時に季節外れの夕立がきた。
あまりの雨の勢いに私たちは閉じ込められてしまった。
雨音は何故だか先ほど不安を増幅させる。どうして、雨は私の味方だと思っていたのに。
なにが怖いの?屋外にいるかもしれないから心配しているの?
遼の幼馴染は降り止むと同時にそれとなく探しにいくと言い出した。
―― いえ、それなら私が適任だわ。この家のことは私が一番知ってるもの。大丈夫です、きっと離れにいるわ。私見てきますね――
にっこりと笑い、けなげな少女の仮面をつけていじらしく喋ると納得してくれた。
 
洗面所のラックからタオルを持ち出すと嫌な予感を振りきるかのように走り出した。
小橋を渡り、雑木林を駆ける。
名残惜しそうな雨露が木々から落ちてくるけど気にはしてられない。
離れで四人、談笑でもしながら居るはずよ。
息が詰まるのは、胸が痛いのは走り出した鼓動のせいだけじゃない。
木々を抜け、視界が開けた。 離れの玄関先…
 
あのひとを抱きしめていた。遠目で見てもわかるほど、強く。
 
遼。
私の遼。
私だけの、遼。
 
 
雨は止み、銀色の檻は破られてしまった。
降り注ぐ陽の光の下、世界は壊れ閉ざされる扉の音を聴いた気がした。