Opalpearlmoon

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フライアは謳う

 
蒼い空はどこまでも高く在り、金色の陽光が一片の翳りもなく降り注いでいる。
その輝きの中で、薔薇は誇り、芍薬は華やぎ、百合は佇み、鈴蘭は寄り添うようにして、庭を色とりどりに染め上げている。
春を一番美しく感じるテラスの、向かい合わせの小さなテーブルとチェア。そこに腰をかけて、ときおりそよぐ風を心地よく感じながら待っていた。
硬い小さな音がした。
わかっているのに、聞こえてくる期待の足音とともに目をむける。
こちらへと続く窓の向こう、銀のトレイにポットと二脚のティーカップと焼き菓子をのせて、ユメミが立っていた。
驚いたのか、はにかみながら逆光となった暗い室内から一歩ずつ陽をまといながら歩んでくる。
「おまたせ」
オレの視線に応えるように、咲き彩る花々と一緒に咲った。
 
月に二度ほど、庭を愛でながらユメミの淹れてくれる紅茶を飲んでいる。
示し合わせた訳ではないのだが、だいたい土曜の午後、晴れた日に屋敷で顔を合わせているのだ。
以前のオレなら考えられなかったことだ。
なんの理由も意味もなく、ただ話すためだけに時間をつかうなんてことはなかった。
だけど今は、ゆったりと流れる時間をこうして二人で楽しんでいる。
 
向かいに座り、慣れた手つきでユメミがお茶の準備をしてくれていれる。
ながめていると、自然と頬がほころんでくるのを感じた。
そそがれるティーカップからゆっくりとたちのぼる香気。
「薔薇の香り?」
目を上げると、ユメミはティーカップに指をかけたまま、榛色の瞳をにわかに濃くした。
「フレイバーティーなの。いい香りでしょ?ぴったりと思って」
頷いてから、口をつける。
のぞきこむ瞳には『どう、おいしい?』と書いてある。
「美味しいよ」
とたんに顔を輝かせる。
それから自分もカップに口をつけて、満足そうに頬を高くすると、ゆっくりと眼前に広がる花々に目を向けた。
「ここのお花、きれいね~」
光を透かしてきらめく髪を揺らめかせながら春の庭を見渡すと驚いた口調でいい、それからもう一度うっとりと繰り返した。
「ほんとうにきれいだわ……」
見惚れる横顔に浮かぶこぼれるほどに豊かな喜びの感情。
思っていた通りの反応をうれしく思いながらいった。
「春の庭はここが一番美しいんだ。薔薇が最初に咲きだして、冬の終わりと春の始まりを体中で感じられるからね」
するとユメミは向き直り、少しくびをかしげた。
「春の始まりって、今はもう春も中頃でしょ?どっちかというと初夏よ、暑いくらいなんだし」
ああ、そうか。
彼女は日本で過ごしてきているから感覚が違うのだ。
それを新鮮に感じつつ、説明の言葉を口にした。
「日本だと徐々に寒さが緩んでいって四月には暖かくなるから印象がないけど、国だとね、春というと五月なんだ。
復活祭をむかえても四月はまだ寒くて、五月になると急激に気温が高くなる。そして日照時間が長くなるとともに日差しも強くなり、いっせいに新緑が萌え花々が咲きだす。それでようやく冬が終わったことを体感できるんだよ」
育ってきた環境による認識の違いは多かれ少なかれ必ずあるものだ。
特に、真逆といえるほど異なる環境で過ごしてきた彼女とはよくこういうことが起きる。
何年も共に過ごしてきたのに、知らないことの方が多いくらいだ。
ささやかな意識の違いを感じるほど近しい会話をしたことがなかったからだった。
「そうなんだ。日本にずっと住んでると桜が咲いたら春って思っちゃう。じゃあ、春のイメージも違うの?
鈴影さんにとって春のイメージってなに?」
説明をしているあいだ興味深そうに聴いていたユメミは、一呼吸おいてから質問を投げかけてきた。
春とは何か、か。
彼女得意の観念的な質問は難しい。
心中で浮かびあがる言葉を慎重にとらえながら応えた。
「そうだな……、弾ける、かな」
意外だったのだろう、ユメミは一瞬息を飲んだ。
それを微笑ましく思いながら、薔薇の花に視線をながす。
強い陽に照らされながらもしおれることもなく、生き生きと咲き誇っている、赤い薔薇。
「春は突然やってくる。爆発するようなエネルギーで、花々を咲かせて賑やかにし、世界を変える。
抗えないほど強い力で情熱を呼びさまして、陶酔させる」
まばゆい太陽と色彩に彩られた世界は、生命力にあふれ、力強く、逞しく、あたたかい。
フライアが喜び謳う季節。
……君みたいだ。
 
「あたしは穏やかなイメージだったわ。そういえば五月のお祭りがあるくらいだし、全然ちがうのねえ……」
みると、同じように庭へ向けた瞳を細めて、ユメミは神妙にも聞こえる声でつぶやいた。
「そうだね」
そうだね、だからその違いを二人で話していこう。もっと知っていこう。
君を知る度にオレはあざやかになっていく。
 
君を知っていくことは、君に知ってもらうことは、とてもしあわせなことだ。
 
それから幼いころ湖を泳ぎきった話と、野ばらの冠をつくった話、休み中書院に閉じこもっていた話をした。どれも遠い昔の出来事だ。
そして動物園へ遠足に行った話と、弟が生まれた朝のことを話してくれた。
時は瞬く間に過ぎ、手元のティーカップに紅い輪ができているのに気づいた彼女は、あっ、と小さく声を上げてから、ポットをかたむける。
その額にはうっすらと光の珠が浮かんでいる。
金色の翳りのない陽は、確かに春というには強すぎるのかもしれない。
そっと折り曲げた指先で軽く額にふれる。
「もう暑いね、次はアイスティーがいいな」
ユメミは睫をはばたかせると、榛色に光をうつして、嬉しそうにうなずいた。
 
フライアは謳い続ける、
春が過ぎゆき、夏になっても。