Opalpearlmoon

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そして彼女の名をよぶ

『あたしのことユメミって呼んでくれませんか?』
『なんだか佐藤って堅苦しい気がして。せっかく知り合えたんだし、気軽にユメミって呼んでください』
 
そういわれても、わかったとうなずくしかなかった。
名前など、どう呼ばれようが呼ぼうが、重要なことには感じなかった。相手との信頼や距離などはそんなことで変わることではないのだ。
しかし本人がそういうのに佐藤と呼び続けるのは失礼だろう。
それに、私は彼女のことが嫌いではない。ドイツで見せた彼女の勇気と奇跡は賞賛すべきものであったし、認めている。
しかしだ。
するりとレオンの口からユメミと紡がれた時、高天は大仰に振り返って二度見し、光坂は大きな目を見開いてからまばたきを繰り返し、私は……知らないうちに息を飲んでいた。
私と同じく彼女が頼んだのだ。そういえばレオンにも話すといってたな。
まるで何年も前から変わらないかのような自然さで口の端にのぼったその言葉。
私はただ、美しいレオンの横顔を見つめていた。
 
私は普段冷泉寺、冷泉寺さん、と呼ばれることが多い。女友達は貴緒さんと呼ぶこともある。私のことを怖がっている連中もいるくらいだ、親しみやすさとは遠いところにいるのだろう。
それで構わないし、なんの不利益も不満もない。
私にとって呼ばれ方などそんなものだ。だから彼女のいう「堅苦しい」という感覚はわからない。
だが、クラスの女子などは親しさを確かめあうように甘く呼び合っている。女子とはそういうものなのかもしれない。
そんなもののはずなのに。
先日のことで、もやもやする。
理由はわかっている。
レオンが彼女を名前で呼んだこと。感傷もいいところだ。
こういうときは帰りに道場に寄り、型を一通りこなして汗をながそう。そう思った時だった。
「冷泉寺さん!」
振り向くと、渡り廊下から緩く結った髪を揺らしながら、佐藤夢美が駆け寄ってきた。
学校で話しかけられるのは珍しい。
私と目が合うと、一瞬ひるむように目を瞬かせてからいった。
「いやー冷泉寺さんの姿が見えたから!あたしも今から帰るんですよ。ヒロシもだけど。よかったら一緒に帰りません?」
なんだ、このなつっこさは。
私に気を使ってるのか。
呼び方といい、彼女なりに親しくなろうと努力しているのだろう。
探りを入れるようにみる。しかし彼女には作為的なところは見当たらず、ただ私の返事を待っているだけだった。
「すまん、これから道場で稽古の予定がある」
わざと突き放すようにいった。
「そうなんだ。じゃあ、また今度ね」
それを気にするわけでもなく、残念そうに答える。
……ひょっとして、これが素なのか。
ただ私が見えたから声をかけた。
信頼や距離、ましてや「誰から」なんて関係なくて、自分が呼ばれたいから。
他意はなく、それだけ。
そういうことなのか。
素直というか単純というか……その軽さは私にはないものだ。
全く私と違う。その自由さが好ましく、少し羨ましいと感じた。
 
「ユメミ。また今度な」
少し照れた私を、ユメミはきょとんとした顔でみあげた。