Opalpearlmoon

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あのころキミは、カタかった ~『愛からはじまるサスペンス』雑感~

 
『愛からはじまるサスペンス』を再読して一番最初に思ったこと。
それは
 
マリナちゃんが硬い……!!!
 
でした。
 
マリナシリーズの最大の特徴といえば、テンションの高い勢いのある文章。
友だちのおしゃべりのように語る地の文はわかりやすく親しみやすいものでした。
「だれにでもわかりやすいのがあたしの数少ないとりえなのよね、わっはっは」
みたいな感じ?(笑)
とにかく読みやすい。
マリナちゃんのテンポのいい語りが難しい言葉もするする読ませてくれる。
それが極まるのが中期のころ。だいたい前後編の長編になったあたりでしょうか。
私が本格的にハマったのもそのころだったので、マリナシリーズといえばテンションの高い、くだけたイメージだったのです。
ところが、『愛からはじまるサスペンス』のマリナちゃんはとっても「硬かった」。
マリナシリーズは、中期になるにつれてどんどん砕けて親しみやすくなっていき、中期から後期になるに従い落ち着いた文章になったとは思っていたのですが、最初の一冊がこんなにもイメージの違うものだったとは。
本当にびっくりしました。
久々の再読だったということもありますが、それにしてもこの衝撃。リアル時は中期を読み返すことが多かったので、よけいにすっぽり抜け落ちていたのでしょう。
 
というわけで、このことを少し書いていきたいと思います。
 
まず何が硬いって、文章自体が硬い、言い回しが硬い。
~だ、~である、~いる、~だろうか を多用し、一文が長い。
全体的にかたーい感じなので具体的に、といわれると困るのですが、
たとえば、
 
いつもなら、出版社帰りは、たいてい身も心も落ちこんでいる。
つぎ合わせるゆとりもないほどズタズタにされてしまった自尊心と、つきかえされた原稿と、明日からの生活の問題と、あてにはできないとわかった未来とを、かかえているからである。
そこで、暗く重い心にふさわしく、そのまま地下にもぐりこんで、まっ暗の地下鉄に乗る。
そうして窓にうつる自分の横顔を見つめながら、自己嫌悪にひたって、おのれの暗い青春をじっくりかみしめるのである。
                                   『愛からはじまるサスペンス』
 
え、誰……。
 
これマリナちゃんですよ!?
マリナちゃんが地下鉄の窓にうつった自分の顔を陰鬱な気持ちでながめておのれの暗い青春なんて嘆くんですよっ。
内省的で落ち込んでいる様子がよく伝わってきます。
おまえの中のマリナのイメージってどんなだ、といわれてしまいそうですが、明るく逞しいイメージだっただけに、繊細で硬い言い回しをする彼女に驚いてしまったんです。
上手く言葉にできませんが伝わるでしょうか、この硬質な感じ!
 
比べてみるとわかりやすいかと思います。
後の作品と同じような意味の文章がありましたので引用します。
 
 
ああ早起きっていいもんだなあと思いつつ、かろやかに足を運ぶその行く手に、あんな恐ろしい事件がまっていようとは、根が善良なあたしはこの時想像もしなかったのである。
                                   『愛からはじまるサスペンス』

ああこのひと言が、あの悲劇の幕開けになろうとは、根が単純なあたしはこの時、想像もしなかったのよ。
                                    『愛いっぱいのミステリー』
 
 
ほんとはもっと長い文章で比べたかったのですが、探すのが大変だったので、短いですけど勘弁してください。
だいぶ印象が違いますよね。
「かろやかに足を運ぶその行く手に」豊かにふくらんだ表現に「想像もしなかったのである」と締めているこの言い回し。
カッチリとした硬い印象を受けてしまいます。
 
さらに硬いのは文章だけではありません。
マリナちゃん自身も硬いんです。
一人称の作品は、主人公の見たことだけが全てです。見た事実と、それを解釈する地の文とで読者を誘導し、時には主人公を信用できない語り手として扱うことによって表現に幅をもたせるのが一人称小説の醍醐味であります。
ですがサスペンスは他の作品より物語の語り手、カメラとしての主人公を徹底していて、冷静に見ているのように感じるのです。
なんていったらいいのかな、登場人物全員に距離をとって、一様に観察者として存在している感じなんですよね。
薫に対しても対等でリベラルな見方をしてるというか。
それがすごく新鮮でした。
 
その群をぶっちぎるようにして出てきた薫の姿は、そりゃあ凄惨なもので、あたしは、笑いが止まらなかった。
中略
そりゃあ、美しく生まれた者の宿命というもので、なんともいたしかたがないんじゃない!?
とあたしは、美しく生まれなかった者のねたみから、内心ざまーみろと思いつつ、非常に冷ややかな眼で、彼女を見ていた。
 
 

「人をジジイみたいにいうな!」
この修羅場にさえも、バアちゃんと言わずにジジイというところが、彼女の人生哲学の徹底しているところだ。
  
                              『愛からはじまるサスペンス』
 
 
このドライな距離感。けっこう好きなんですけど駄目ですか
マリナちゃんが薫を笑うところなんてあまりないですからね。
たとえですら女じゃなくて男なんだ、というツッコミが素晴らしいです。
マリナちゃんって元々ツッコミ担当だったんですよね。
それがボケ担当、称賛係となっていくので忘れがちですが…。
そして主観でものを考えるようになっていく。
自分にとって○○はこう、というところからはじまるマリナちゃんの思考に慣れていた分、客観的に冷静にみつめるマリナちゃんを硬質に感じるのだと思います。
 
あと、金銭感覚の違いすぎる薫が将来お金に困ることがあるんじゃないかと心配するあたりや、巽の美貌を日本の国益のために使うべき!という主張も好き(笑)
 
 
 
当時、少女小説界では新井素子先生、氷室冴子先生のような、少女の語りかけてくるような一人称が流行っていました。
コバルト大賞受賞作「眼差」を読んだことがありますが一般小説のような三人称で、少女小説らしさというものはなかったのを憶えています。
文庫第一作となる『愛からはじまるサスペンス』を書くにあたってひとみ先生は読者に受けるよう売れるよう、人称を変え文体を変え苦労して「一人称少女小説」を書きあげたのではないでしょうか。
売れなきゃ新人の本なんて出ませんからね。
マーケティングも売れ筋もチェックして、相当気合いを入れて書いたのだと思います。
 
使われる言葉は厳選され、推敲を重ねた丁寧な文章。
一般小説から少女小説へ、さぐりさぐりのプロトタイプ。
 
それが『愛からはじまるサスペンス』から感じた硬さの正体なのかなあと思います。